8. 記憶に残った伴奏者のお話し (A memorable accompaniment story)

音楽の勉強を専門にする時より前のお話しですが、そんなに多くはないけれど目の当たりに見た世界のトップアーチストの演奏会で

素晴らしい主役の他に伴奏をしていたアーチストに感動した記憶をお話しします。

1967年ごろ当時の渋谷公会堂の最前列で聴いたロシアのバス歌手アルトゥール・エイゼンのコンサート、この音楽会でそういう経験をしました。というのも歌声は素晴らしいし、またそれよりも昔に見たイタリアオペラの最高峰の歌手たちにも何ら引けを取らない表現力に圧倒されたのも事実ですが、この時その後の自分の音楽への姿勢を決定づけるような感銘を受けたのです。

それは目の前で見たキリル・ヴィノグラードフというピアノ伴奏者の演奏です。ピアノのふたを閉めてはいましたが、なんと響きあった‟合奏“なのでしょうか!私はそのロシア人の名前を一生懸命忘れないようにと覚えました。後年ピアノの伴奏をお引き受けする機会があるたびにそのことを思い出して弾いたものです。伴奏はカラオケではありません。‟合奏“なのです。この異なる人格の複数の人間の織り成す芸術に取って代われるものはないと思います。作曲家は総合的に音の世界を創造しているのですからその音楽の再現にはピアノの独奏曲や無伴奏の楽曲以外では個性の違いを調整しつつもその独自性を失わない演奏が美しいのではないのでしょうか。私がピアノの生徒たちのために書いているメソードの1、2集にはそんな思いが込められている連弾の曲集でもあります。

学生の時ですが、イタリア歌曲の伴奏では名の知れたジョルジョ・ファバレットの公開レッスンに友人が参加したので聴講していましたところふんだんにソフトペダルを使わせていました。その友人はその頃体が小さくそれを独自の方法でピアノを響かせることに腐心していたので帰りの電車の中で少し不満を漏らしていました。私はというと実は内心ソフトペダルを使用して強いタッチも併せて大きな表現力を生み出していた別の項で述べたリヒテルのことを思い出してその伴奏法の内容には納得いっていたのですが…。