前の項に初めてツェルニーの生い立ちについて簡単に触れましたが、少し本題に入りたいと思います。ピアノを習いだす人はまず
大きな音符で書かれた小さい子の目の判断力に合わせた譜面から入り、ツェルニーの100番練習曲あたりから本格的にピアノの鍵盤と
向き合うようになるのが一般的でしたが最近は初心者でも皆さん忙しい生活を送っているようで膨大でしかも何十年もかかるピアノの
技術の習得に費やす時間が得られない現代の世情では彼の一生をささげた教育的作品に触れるにはちょっと気が遠くなるような感じですね。私がピアノを始めたきっかけは父が最初にヴァイオリンを持たせて顎にそれを挟み右手には弓を持ったまま長い間その姿勢で立たされて音も出せないでこんな楽器イヤだって思い、ピアノは最初から音を出せるし座ってできる楽器だからということでした。
100番の練習曲や小さな手のための練習曲には触れることはなかったと記憶していますが、30番の練習曲には大きな思い出があります。というのも子供の頃は先生を3度も変えさせられてそのたびに父親は30番の勉強のしなおしを先生に頼むのです。最悪でした。
普通30番の次には40番と思うのが楽しみでしょうが。しかもそのたびに違う訓練を先生に要求されるのですからたまったものではありません。何とかピアノのレッスンから逃げたいと思っていました。でも、子供心にこれはピアノという楽器のせいではなく多分に世の中の大人の思い違いによるものなのだといつも思っていました。それが不思議と中学に入り今度は勉強しなければならないとなってみたら今度はピアノを弾くことが自分の生活に重要なことになってしまったのです。自分からいとこの習いだした先生を紹介してもらい自分から40番の練習曲を進んで習いだしたのですがなにせ進みは遅く50番の練習曲に入ることが出来たのは高校に入ってからでした。
そして音楽大学のピアノ科に進んだ瞬間これはちゃんと技術の基礎を学んでおかなければこの先ピアノの教師の土台がしっかりしてないぞと思い50番のレッスンを教授にお願いしました。頑張ってこの曲集だけは終わっておかなければと短い時間のレッスンで試験曲もレッスンを受けなければならないのにです。先生は笑っていましたが、内心そんな時間さきたくないと思っていたでしょうね。
でも、その時初めてツェルニーのエチュードの根幹にある、素晴らしい音楽を送り出すことのできる作曲家たちの正確な語りべたちの育成にすべてをささげ恩師ベートーヴェンの遺志のためにたくさんの練習曲を書き上げリストのような生徒には無償でレッスンを惜しみなく費やした彼の深い人間性をこの50番の練習曲集から学びました。しかも調べて知ったことですがあのいまわしい30番の練習曲は彼の作曲活動の集大成として晩年に書かれたものなんですね。これは本当にたまたまと思いますが、自分のためには良かったなと今頃思うのです。