子供から大人までピアノに向かうと必ずと言ってもいいほど行きあたる問題は指先と鍵盤との接触に当たって体のどの部位の筋力を意識するのかということなのですが、例えばこれはギーゼキング=ライマーの共著による20世紀のピアノ演奏法の名著「現代ピアノ演奏法」、この本の中には腕の重みを指先には反映させてはいけないとあります。これにはいろいろと表現のもどかしさを感じます。というのは私などは子供の頃から腕を楽にしてその重みを感じながら弾きなさいとさんざん言われ続け実際に湯舟の中で浮力を感じるためにいつも背筋から肩を経て腕の筋肉を緩めて水面に腕を浮かせてみる事を欠かしませんでした。それでも実際にピアノに向かうと短い曲でも腕が痛くなって弾き通すのが大変でした。そんな調子ですから大人になってもなかなか短いコンサートでも弾き通すのは一苦労でした。ところがまわりを見回したところみなさんそんなこととは何の関係もなくすらすらとそれぞれの個性的な演奏を披露してるのを見るとなにか不思議な思いでいたことを懐かしく思います。しかしながらいろいろと試しているうちに(例えば指を全部平たくして鍵盤に乗せて弾くというようなことも試してみましたが)私の場合ですが前述のルロイ・アンダーソンのThe Syncopated C'lockをゆっくりと繰り返し繰り返し単音で練習しているうちに、若いころにやっとの思いで身に着いて、しかも自分の演奏ができなくしてしまっていたいわゆる「ピアノの演奏法」というよろいを知らず知らずに脱いでいたようで、自然にピアノに向かうことができるようになりました。心と頭と意思にゆだねられたすべての筋力がピアノを響かせるのですね。