7. 指揮についてのお話し (Story about conducting)

合唱や合奏で唯一演奏をしないでお客さんの前に出ている人といえば「指揮者」ですね。かっこいいパフォーマンスの人もいればやけに地味でおとなしそうな人、情熱的でちょっと見ていても恥ずかしくなりそうなタイプいろんな指揮者がいます。黒柳徹子さんの番組で昔コメディアンのダニー・ケイがニューヨーク・フィルを指揮してカーネギー・ホールを埋め尽くした紳士淑女の皆さんが大笑いしていた愉快な放送がありましたが、ちゃんと巨匠ズビン・メータの指導も受けていたようで素晴らしい説得力のある指揮をしていたのが印象的でした。それにつけても指揮とは一体なんなのか。演奏するみんながばらばらで演奏するのは確かに避けたい、でもそれでは拍を勘定だけしていけばいいのでしたら何か人間でなくてもなんて考えてしまいますよね。ルイ14世に仕えていた宮廷楽長のリュリは拍を指揮杖で床を叩いていつも指揮していたのですがあるとき足を刺して

しまいそれが元で2ヶ月後になくなってしまったというお話はあまりにも有名です。これは教会音楽とは違いバレーや踊りのための指揮は拍を上手にとらないといけなかったからことさら強く叩いていたのでしょうね。なにせ舞台は広大なベルサイユ宮殿ですから。これに対してバッハの集大成になる複音楽(複数のパートが対等に入りくんだ動きをしていく)では現在目にする指揮法は馴染みにくいんです。40年以上前に東京のあるホールでアマチュアのオーケストラの演奏会でバッハのブランデンブルグ協奏曲第3番を指揮したことがありますが、大変指揮しづらかったのを記憶しています。というのも自分が学んでいたロマン派以降の指揮法がこういう曲ではあまり役に立たないのです。なぜかといえばバッハの頃の指揮者は自分もチェンバロやヴァイオリンを演奏しながら聴衆である貴族たちに失礼の無いように正面を向いて指揮していたのですから拍に関してはさほど厳格さはいらなかったのではないかと思います。それから職業指揮者に発展していく過程やそのことがいろいろな波紋を引き起こしていくことについてはあらためてお話したいと思います。