カール・チェルニーといっても私たち日本人にはピアノ学習のツェルニー練習曲集しか思い当たりませんが、主にウィーンで生活していたのですがチェコの人なので正確にはチェルニーと発音するみたいです。ドイツでもチェルニーで発音しているようです。お父さんは教育パパで教会の宗教歌手だったようですが、幼くして音楽の天分を発揮していた彼を音楽の都ウィーンに連れて行き当時「月光」を書き上げたばかりのベートーヴェンに「悲愴」のソナタを聞いてもらったそうです。ベートーヴェンはまだ10才のこの少年にピアノの基礎から叩き込んだのでした。ボヘミアから大都会に出てきて一流の音楽家のところで勉強させられる羽目になった彼はさぞかし心細くもあり辛いこともあったでしょうね。それでもどんどんピアノが上達して初見と暗譜に長けていたらしく後には出来たてのほやほやの「テンペスト」や「ワルトシュタイン」をまだ手書きの段階でベートーヴェンに弾いて聞かせたほどに信頼を勝ち取っていたみたいです。そういう意味では私たちがツェルニーにいだいてきたイメージと違い、ずっとベートーヴェンに近い存在のような気がしてきます。ベートーヴェン研究の大御所であるアントン・シンドラーよりも彼の書いた沢山の練習曲集の方がベートーヴェンの音楽の理解を得るのには近道なのではないでしょうか。思い出しますが、50年近く前に新宿の伊勢丹で南葵音楽文庫の所蔵展があり、そのとき「ワルトシュタイン」の手書きがあったと記憶していますがそのツェルニーの逸話をどこかでおぼえていてこんな書きなぐったような譜面をよく演奏できたんだなって思ったものです。それと「テンペスト」のレッスンでシェークスピアの「テンペスト」を読めと言われたまだ若いツェルニーはどう思ったのかななんてて想像してしまいます。練習曲集についてなにか書こうと思いましたが、今日はここまでにして次にまたお話しようと思います。